#3 フォルクスワーゲン・ゴルフ -カオルと 僕と そして今ー

カオルと 僕と そして今

 

・・・・・ 前回のお話 ・・・・・ 

 

《私のやりたい100のこと》
95.私の中のモノをお話にして外に出す

カオルと 僕と そして今  
#3 フォルクスワーゲン・ゴルフ

 

・・・・・ フォルクスワーゲン・ゴルフ ・・・・・ 

 

2月に入り、テツオはぽっかりと穴が開いてしまったように暇にしていた仕事が急に忙しくなり始め、そんな時に限って、珍しくスキーの誘いなんかが来るものだ。

シーズン前に新調したブーツと板は、その出番を待つばかりで、いささか不満気味に部屋の隅でじっと様子をうかがっている。

そんな中で、この誘いはただの遊びではなく、友人の “接待スキー” の助っ人だという。

テツオの友人は、仕事先の人を接待する事になり、相手からのリクエストが宿泊スキーツアーだったのだ。

ところが、その友人はスキーが苦手でゲレンデに詳しくない。おまけに彼の車は マツダロードスター。2人乗りの黄色い小型オープンスポーツカー。

接待スキーには完全に役不足だということで、スキーが得意で、キャリア付きのフォルクスワーゲン・ゴルフに乗っているテツオに、白羽の矢が立ったというわけだった。

フリーランスのデザイナーをしているテツオとしては、この接待スキーがご縁で新しい仕事が入ってくるかもしれない、、、というより、部屋の隅でくすぶっているブーツと板をデビューさせる絶好のチャンスをつぶすはずはなく、穴の開いていたぶんを上回る勢いで入ってきた仕事を横目に、この話を喜んで受けたのだった。

 

 

当日は仕事先から一度家に戻り、夜中に出発する、ということだったので、前の晩に私たちは久しぶりに外で待ち合わせをし、お互いに仕事の資料を抱えたままバーに入った。

バーボンを飲んで、すっかりいい気分になったところでタクシーに乗り込み、夜更けのドライブと称して、私の好きな夜の高速道路をほんの少し遠回りして部屋に着いたころ、2人は珍しく足元があやしいほどふらふらで、部屋に入って服を脱ぎ捨てるなり、ベッドに倒れるようにもぐり込み、そのまま深い眠りについてしまった。

 

翌朝はいつもと同じように目覚め、テツオはシャワーを浴び、私はコーヒーを入れた。

そして、新聞を開いてコーヒーを一口飲んだところで、テツオが不意に顔を上げた。

「あれ、夕べ帰ってきて留守電を聞いていなかったよな」

「そういえば私も聞いていない」

私もやはり会社には属さず、フリーランスで翻訳の仕事をしていた。
そして、窓が大きくて外の光が良く入るリビングの一番良い場所を仕事場として使っていたので、電話は、テツオのと私のと、2台並べて置いてあった。

私のほうの留守電話はゼロ。このところ意図的に仕事の量を減らしているせいだろう。

テツオの留守番電話は1件入っていた。今夜発つ接待スキーについてだった。

「明日のスキーについてですが、夜中に発つ予定が変更になりまして、仕事が終わり次第、ということになったので、荷物を準備されてそのまま出られた方が良いかと思います。詳細については後ほど。」

え!? 困った。まだ何も用意していない。

 

 

テツオは慌ててブーツと板を玄関に出し、フォルクスワーゲン・ゴルフをマンションの入り口まで移動するために出て行った。

私はバッグを片手に、三日分の下着やら何やらと一緒にスキーウェアを詰め込んだ。

やれやれ、こんなことなら、夕べあんなに飲むんじゃなかった。テツオの酔いは一晩たって完全に覚めただろうか。

フォルクスワーゲン・ゴルフのキーをガチャガチャさせながら、テツオが部屋に戻ってきた。

彼はブーツと板を抱え、私は大きく膨らんだバッグを持ってエレベーターに乗り込んだ。

「夕べのお酒、もう覚めた?」

「いや、今ちょうど酔いが戻ってきていい気分になってる」

「おやまあ」

 

どうやら近頃はそうらしい。

朝起きてシャワーを浴び、コーヒーを飲んで、一応シャキッとして家を出るのだが、マンションのエレベーターを降りて、数歩歩いたところにある駅の入り口まで歩くほんの少しの間に酔いが戻ってきて、電車の中でほろ酔い気分になったりするのだそうだ。

まったく困ったものだと思うけれど、別段仕事に支障があるわけではないし、ただただ静かに飲み続ける好きなお酒をやめるような人でもない。

彼の健康が心配ではあるけれど、女房ではない私が、テツオの体のことや、お酒についてとやかく言うのはルール違反のような気がしていた。

 

 

この日は仕事が終わり次第、スキーへ行くことになっているのに、クライアントとの打ち合わせがあるため、いつもはラフな服装のテツオはスーツを着ていかなくてはならなかった。

テツオはスーツにネクタイ姿でキャリアに板を固定し、私はリアシートにバッグを置いた。

 

・・・・・ 初めての留守番 ・・・・・ 

 

私たちはとてもクールな関係にあった。というよりも、私は常にそのように努めてきた。

肉体関係ができたと同時に馴れ馴れしくなったり、同棲しているからといって女房風をふかせるのだけは、決してしないと心に誓っていた。

それに、テツオもそのほうが良いのだろうと思っていたから。

だから、家に帰ってくる時間を聞いたことも無いし、テツオが私の腕を取って抱き寄せてくれない限り、私からテツオに甘えて何かを求めるということは無かった。

それでも、私たちの関係は良い部分でつながっていて、それは、他の人には分からない、とても繊細で、だけれど、強い何かであると私は思っていた。

 

でも、この朝は無性にテツオが恋しくてたまらなかった。

一緒に生活を始めて以来、テツオが私をおいて帰ってこない、というのが初めての事であったから、一人で留守番をするのが寂しいと思ったのかもしれないが、テツオが愛しくて、マンションのエレベーターで荷物を運んでいる時も、車のキャリアにスキー板を積んでいる時も、私はこっそりと、どうやってテツオに抱きついてしまおうかと考えを巡らしていたのだった。

普通ならそんなことは簡単で「行ってらっしゃい」の言葉の後に、ぎゅっと抱きついてしまえば良いのだろうけれど、今までそういうことは一度もしたことが無いし、突然のことにテツオも驚くだろうし。

 

   正面からではタイミングが難しい。

   テツオが後ろを向いた時に抱きついてしまえば、こっちのものだ!

 

今か、今かとタイミングを狙っている時に、マンションの住人が通りの向うからこっちに向かって歩いてきた。

 

   せっかくのチャンスだったのに!

 

と、思ったと同時に、私がいま密かに企てていたことが、その人にバレやしないかと急に恥ずかしくなった。

 

 

別にテツオの後ろで抱きついてやろうと身構えていたわけではないし、私の心の中で考えていただけなので、その人には知る由もなく、その証拠に、私と目が合ったにもかかわらず、挨拶もしないで通り過ぎて行った。

でも、私は自分の頬がだんだんと高揚してくるのを感じて、すっかり動揺して落ち着きが無くなり、荷物を積み終えて、

「それじゃあ、火の元と戸締りに気を付けて」

と言ったテツオに、はい。分かりました。行ってらっしゃい。とは言えたものの、なんとなくまだ何かを言おうとしているテツオに、それを言い出すチャンスを与えてあげられず、車に乗り込んだ彼にせっせと手を振って送り出してしまった。

 

マンションの入り口に戻り、エレベーターに乗ったところで、さっきテツオはいったい何を私に言おうとしていたのか、急に気になりはじめた。

 

   何かとても大切なことを聞きそびれたのではないか。

   あのときちゃんとテツオに話をするタイミングを作ってあげれば良かった。

   なんであんなにせっせと送り出してしまったのか。

 

後悔したと同時に、まるで悪い事をした後のような、とても重い嫌な気分になった。

「大丈夫、大丈夫。2、3日すれば帰ってくるのだから。その時にテツオから聞けばいい」

そして、車に荷物を積みながら、私が密かに企てていた計画を告白しよう。

この時、私がどんなにテツオを愛おしく思っていたのかも一緒に言ってしまおうか。

テツオはどんな反応をするだろうか。

 

 

考えてみれば、私からテツオに「愛している」と言ったことが無い。

「好き」とは言えても「愛している」とは言えないでいた。

テツオはそんな言葉を軽々しく口にしない人だが、酔って抱き合った時は何回も何回も言ってくれた。

「愛してるよ。愛してる」

でも、私が言えたのは

「私もよ」

 

なぜ言わなかったのか、言えなかったのか。

壊れてしまうのか怖かった。

「愛している」

の言葉で呪文が解け、今までのテツオと私のバランスが崩れ、この生活が消えて無くなってしまうのではないか。

女房気取りの厚かましい女になってしまうのではないか、と怖かったのだ。

私だって、何も考えずにテツオの胸に顔をうずめ、思いついたことを思いついたままに口に出し、泣きたいときに涙を流せたらどんなにいいだろうかと思った。

でも、私は自分の気持ちをおさえ、次の夏が来るのをただじっと待っていた。

 

 

夏にはテツオの30回目の誕生日が来る。

テツオは以前、自分が30歳になるまでは誰とも結婚しない、と言っていた。

「これは、君に会うずっと前から自分の中で決めていたことなんだ。だから、変えるつもりは無い。僕の中の大事なけじめなんだよ。それに、夏までに仕事のほうも僕の理想に近い状態になるはずだ。そうしたら君は今みたいに忙しく仕事をすることはないよ。自分の好きな仕事だけをすればいい」

これは1回聞いただけで、その後も彼の気持ちが変わっていないかどうか、聞くことは出来ずにいたけれど、私はテツオの言葉を信じていた。

日常の生活の中で、私たちは表面的には他人行儀のように見えたとしても、お互いに強く結びついて信頼しあい、求めあっているのは分かっていた。

2人の間の微妙な距離は、そのうち時間が埋めてくれる。

8月になってテツオの誕生日が来たなら、その距離はまた少し短くなるはず。

とにかくその日を待つ。

全てはそこから始まるのだ。

自分に自信が無くなったり、テツオにはとって私は必要な存在なのかどうか、問いただしてみたくなったりするけど、とにかく夏まで待とう。

私はこうして、半年後のテツオの誕生日の存在を信じていた。

まさか、その日が永遠に来ないことなど、想像すら出来なかった。

 

 

次回

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#4 帰るコール